ワタリガラスの伝説

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朝焼けに染まる摩周湖上空を、二羽のワタリガラスは弧を描くように陽光の中へと消えていきました。

 

阿寒国立公園の東側に位置する摩周湖は、精霊がすむ神秘な湖として今もなおひっそりと残されています。

以前私は、ここで思いがけない光景を目にしたことがありました。

氷つくような凍てつく朝に、摩周湖外輪山の一角で夜明けを待っていたときのことです。

群青の空が日の出とともに明るみをましてきたころ、東の空一面が朝焼けの色に染まり、

その遥か上空から聞きなれない声が響いてきました。

「カポン、カポン カポン、カポン」 澄んだ空気にまるでこだまするようにその声は湖に響いてきました。

朝焼けに染まった上空から二羽の黒い鳥が弧を描くように舞い降りてきたのです。

その鳥の正体とは、太古の昔から創造神話にも登場してくるカラスの仲間、ワタリガラスでした。

日本では大変珍しいカラスで、北の寒い地方でないと見ることができない鳥です。

街中で聞こえてくるカラスの鳴声とは明らかに違い、とても美しく心に響いてきました。

ワタリガラスの神話は世界中でも知られており、アラスカから南東カナダ沿岸に及ぶ

アメリカ系インディアンから、ユーラシア大陸及び日本列島にかけて、モンゴロイド社会のつながりを

現代に蘇えらせようと伝説を追って旅を続けてきた故星野道夫氏のことも思い出されます。

クリンギットインディアたちによって昔から語り継がれてきたワタリガラスの神話とは、

まだ地球上すむ生き物たちがたましいをもっていなかった時、世界の創造、新生、再生の担い手として、

ワタリガラスが鷹を使い、この世に魂を吹き込み誕生させた話です。

 

木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもって私たちを見つめている。

そのことを忘れるな。これからの時代は大きく変わっていくだろう。

だが、森だけは守っていかなくてはならない。

森は私たちにあらゆることを教えてくれるからだ。

わたしがこの世を去る日がもうすぐやって来る。だからしっかり聞いておくのだ。

これはわたしたちにとってとても大切な物語なのだから。

 

クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ数日前に、

物語を後世に伝承するため語った言葉です。

また、日本神話にも登場するヤタガラス(八咫烏)もワタリガラスではないかと言われています。

私にとっても、このワタリガラスとの出会いは特別なものとなりました。

眩いくらいの陽光が照らすなか、二羽のワタリガラスは摩周湖の上空を飛び続けると、

カムイヌプリの神々に導かれるように、天空を目差しながら上空遥か彼方へと消えていきました。

あまりにも一瞬の光景に呆然としていましたら、摩周湖を取り囲む外輪山の頂きから、

日の光に照らされて淡いピンクの色に染まった霧たちが、湖面に向けながら流れるように落ちてきました。

いくつもの頂きから沸いてきては湖面へと流れていく幻想的な霧は、

まるで一つのいのちをもった巨大な生き物のように思えてなりませんでした。

精霊やどる神秘の湖、摩周湖で、伝説の鳥、ワタリガラスに出会えたあの日の光景は、

今でも忘れることなく心の奥底に残っています。

地球的規模で破壊や汚染が繰り返し行われ、環境そのもの自体が変貌しつつある今、

地球上にすむ私たち一人ひとりが、自然に対して何をすべきかを問われてきているような気がします。

人間が忘れ去ってしまった自然への感謝の気持ちや畏敬の念を、

もう一度見つめ直していきたいものです。